平成16年11月更新。
  ずいぶんとお待たせ致しました。親爺のずぼらで延び延びになっておりました「宗谷」どうやら完成の方向に動き出しました。
  親爺に「宗谷」再開をさせた事の顛末は
第2ページの後半からご覧下さい。

第1次南極観測船”宗谷”の模型・・・何とか作るぞ!の佐伯ドック報告ページを開設しました。

 私の父宗弘が、第1次南極観測隊員として南極に向かったのが昭和31年11月8日。
 当時父は僅か31歳であったそうで、この私はなんと満4歳になりたてで、晴海埠頭を出航する宗谷を何故か大暴れしながら見送ったらしいので
すが定かな記憶は御座いません。
 その父宗弘も今年はいよいよ数えの喜寿を迎えます。
 そう、第1次南極観測は、既に45年も前の事となってしまったのですね!!
 私のかすかな記憶にある宗谷。その勇姿に久々に再会したのが数年前、お台場の船の科学館ででした。まさに感動しました。
 元来が模型大好き人間の私、それ以来宗谷の模型が欲しくてあちこち手を尽くして探しましたが、残念ながら御座いません。インターネットでの
情報収集でも、宗谷の模型は何ら手がかりは無し・・・が、何と、船の専門家でいらっしゃるさんから、宗谷の図面をお送りいただけるという、全く
夢のような話が御座いまして、フルスクラッチ制作を密かに決心していた私を益々元気づけてくださいました。 
 が、ここで私は人並みに病気になってしまいまして、入院生活を余儀なくされたのであります。そしてその病院で、成すこともなく冷静にものを考
えるという、私にとっては久々の時を持ちはたと、気づいたことがありました。フルスクラッチでも作りたい宗谷ではあるが、フルスクラッチで船の模
型を作る知識も、技術も、私には無い・・・!!
 何と愚かしい話でありましょうか!! いやはや、我ながら情けなくなってしまいました。病状も一挙に悪化??とそこへ又件のさんから、図面
はもとより、宗谷のラジコン模型の船体部分、古いものだが良ければ差し上げる・・・・・との神の声にも似たご連絡を頂きまして、私は病室のベッド
に飛び上がらんばかりに驚喜したのであります。当然、病状改善、更に完治となりました。
 さて病も癒え、新世紀を迎えたある日、さんから宗谷出航のメールがあり日ならずして宗谷の船体が我が家に・・・いいえ佐伯基地に接岸して参
りました。佐伯基地は大慌て、基地に急ごしらえのドックを新設、宗谷のリメイクに着手・・・・・しようとしているところであります・・・・。が、(全く、が、
多いのであります。)何分海とは縁遠い山奥の佐伯ドック、しかもその技術者たるや、全く怪しげな山親爺・・・これから先がどのくらいかかるやら、ど
うなるやら・・・・・・・怪しい雲行きであります。
 という次第で、ここにその怪しげなる事の顛末を逐一報告し、皆様の励ましを頂きながら、決して途中で放り出すことなく、とにかく完成までこぎ着け
たいと、このページを開設いたしました。叱咤激励のほど願い上げます。               
                                               平成13年2月28日     剱御前小舎 親爺


作業事始め
        これは、I さんからお送りいただいた図面と、船体です。第一次南極観測時の宗谷は、かなり第二次以降の宗谷と姿が異なります。   

 船首後方から船側が鞍部状に大きく切り込まれています。                                    船首部分を少しいじって整形してみました。
       
 平成13年3月1日  親爺
  




そして1年半余り・・・あ!2年か!! 平成15年4月のある日、佐伯ドックはついに蘇りまして、作業を再開しました。


  前部甲板を2段、バルサ材で張りました。
  寸法はアバウトで現物合わせですが、何とか瞬間接着剤で張り、後から
 エポキシで隙間を埋めてあります。
  
  船体中央部の周辺をバルサで少し嵩上げしました。
  メインの艤装部分が乗っかる所なのでかなり四苦八苦して、前部甲板と
 の水平を合わせたつもりです。

  待ちきれず船体下部を黒に着色しました。少しそれらしくなったかな?
  
  Iさんから頂いた図面と手持ちの写真の照合で2時間や3時間はアッと言
 う間にたちます。




  気が短いのか、あるいは長いのか?親爺は自分で良くわかりません。
  1年半(実は2年・・・!)も図面とにらめっこしたり、写真を眺めてばかりいて、慌てる気にならなかった「宗谷を作るぞ」だったのですが、いざ作業に掛かるとついつい根を詰めて、夢中になってしまい、遮二無二事を進めなければ収まりのつかぬ状況にシフトしている自分に気付くからです。

  さて、船底を塗ったついでとばかり船体も赤を入れて、雰囲気を更に高めてみました。
  船首の甲板はPCのお絵かきソフトを利用してシールにプリントアウト、これを貼って化粧しました。
  
  いやいや、意外とこれは使えます。どうせ艤装部分はそんなに複雑に作る能力がありません。
  これに決めました。・・・そう!PCのお絵かきソフト徹底利用で、「昭和30年代少年雑誌組立付録ペーパークラフト的手法」です。
  親爺は少年雑誌の組立付録大好き少年でした。これ以外に我が「宗谷」を完成させる術は無い!!
  で、船首部分の壁?(何というのでしょうかね・・・)斯くの如くやっつけて見ました。






 GWが終わりました。
 第1次南極観測時の宗谷の1大特徴とも言うべき前部のマスト(クレーンでしょうか?)を組み立ててみました。前甲板の中央に1本のメインマストがあり、その根本から4本のサブのマストが延びる仕掛けです。
 未だメインのみですが、早々と白く塗って雰囲気を出しました。
 
 次いでいよいよ船体中央部の艤装部分・・・なんて呼ぶのか名前が解りませんが、前述の通りの組立付録式作業で、でも資料調べやなんやかやで、試行錯誤の繰り返し・・・・・・。
 強度の近眼なのに、それでも老眼が、随分進んでいることに唖然としながらも5日掛かりでここまで来ました。

 爺様(父)の蔵書を無断拝借して、Iさんの図面と首っ引き。
 でも随分細部の構造も解って参りました。








 で、今ようやくここまでこぎ着けました。
 我ながらまあ良くここまで・・・と自画自賛。
 でも、本当はここからなのですよね。
 まだまだ細かい艤装パーツをとにかくフルスクラッチでやるつもりなのですから。

 と言う次第で、気合いの入っている親爺です。
 皆様の益々の叱咤激励御願いいたします。

 これからも逐次報告して参ります。

     平成15年5月11日


















5月15日中央部甲板を張りました。
これからがこまかいところばかり・・・!!!
でも休むと終わりとばかり、親爺は自己を叱咤しながら老眼にむち打って作業を継続しております。
次の写真をご覧下さい。

























最後部のヘリポートにもなっている甲板を張りました。
そして、レーダーの乗っかるタワー部分を作成しましたが、この部分の工作だけで、二晩半を費やしました。
 写真だと其れらしく見えるから不思議です。

     5月15日更新・・・・ふーっ!!














  如何でしょうか? だいぶ様になってきたでしょう・・・。

  後部のゲート型クレーンを取り付け、アンテナ部分もピアノ線と銅線で細工して見ました。
  ペーパークラフト式組み立て方式でも手間をかければ様になるものですね。(今回は自画自賛!!)

  最前方甲板の手すりも何とか付きました。ピアノ線と銅線の細工に最後に塗装しました。

 なにぶんにも付け焼刃。 どうしても再現できない部分が多すぎますし、よいアングルの写真資料もなかなか入手困難です。

 コツコツと細部を組み込むしかないようです。
            5月28日夜


 







  毎夜、食事を終え家内と2人になるや1つか2つずつ細かい部品を細工しています。
  親爺より老眼がひどい家内ですので手伝いはしてくれませんが、そこいら中散らかす度に後片付けをしてくれております。感謝しております。

 後部のヘリコプター格納庫の写真がうまく見つかりまして、しかもカラーのものもありまして大凡の色付けや構造がわかりました。格納庫上部のあまり目立たない部分もかなり大まかですが作りこんでみました。

 救命ボートの作成がうまくいきませんが、本日図面から採寸して4艘のボートそれぞれに大きさが違うことがはっきりわかりました。
 そしてさらに何とか工夫がつきましたので遠からず救命ボートも配置できると思います。

 このアングルが一番いいのかなー??

     5月30日 親爺












  突然失礼いたします。
  宗谷組み立て中の親爺を家内が写しました。
  6月に入って組み立てはますます細かいところへ入っております。
  これは舷側の手摺りにワイヤーを張っているところです。
  細かい作業にくたびれた顔、とくとごらんください???
  五十路の老眼、細かい作業は目から疲れます。
  
  煙突やヘリ格納庫の中央甲板艤装部は、メカの積み込みを考慮し脱着式と しておりますので、細かい作業寺にはかえって便利です。

















    中央甲板舷側の手摺りを張り終えたところです。
    救命ボートも組み込みました。この救命ボートは厚めのスチレンペーパ   ーを重ね貼りし、カッターとサンドペーパーで整形して塗料を塗り仕上げ   ました。防水シートカバーの色は、爺様のカラー写真で確認できましたの   で、PCのお絵かきソフトで色を作り、プリンターで上質紙に刷り出し、ボート  にかぶせ雰囲気を出したつもりですが、夜目、遠目でみるのが一番よいで  すね・・・・・・・???

   でもかなり雰囲気はでてきて、満足満足。













  後部からの写真です。
  実際の写真でもこのアングルは殆どありませんが、ケープタウン寄港時の  宗谷を爺様が後部から写した写真が数枚ありまして、ただし目線が下か   らになります。
  後ろ上部からのこのアングルの写真は無いようです。

  後甲板と、中央甲板へり格納庫もまた第1次南極観測時の宗谷の大きな  特徴でしょう。第2次観測以降の宗谷は改装され、後部甲板がかさ上げさ  れ、中央甲板とフラットになっています。
  この後は、ウインチ(巻上機ですか?)や、後部甲板の特徴ある可倒式手  摺り(ネット)等々まだまだ細かい部品の作成と組み込みがあります。
  メカ積みも有りますが、これはかえって楽しみで、探照灯の1つ2つも組み  込んでみようか等と、相変わらず脳天気な親爺であります。

  6月19日からしばしネパールに入りますので、この先は帰国後になりそう  です。
  年内完成が見えてきたぞ!!

           6月11日 剱御前小舎 親爺


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